etetentenの記録

信仰とともに暮らす日々

信仰はファンタジーではない。

信仰はふぁんたじーじゃない。

じぶんの経験や直感、他人や社会の観察をもとに、
その中にある法則を見つけることだ。

信仰は、この法則がある、法則を作った存在がいる、という前提を信じることだ。

信仰を深めるとは、論理的に問答していきながら、考察を深め、細かにたくさんあり複雑に影響し合う法則を見つけ、紐解いていくことだ。


信仰は感情の動きと密接に関わるので、

信仰とは、感情的でファンタジーだ、と

信仰について知らない人は、信仰を持つ人の、論理的でない、超自然的な感動、経験を聞いてそう思ってしまうのではないか。


人に話す時には気をつけたい。
熱心さや大きな感動からくる、盲目的とも言える確信や言動は、
信仰を持たない人を怯えさせるだけだ。


強い感動や確信があるからこそ、客観性を維持しながら、信仰と向き合い、人に伝えるべきではないか。


信仰と言う言葉もやめよう。
この世の理、法則、前提、仕組み、真理、論理、定義

人間を超越した存在で、
科学の探求するもとの手法で世界を作った存在がいる、
という前提に基づく、この世界の定義、法則の考察と、
暫定的な結論しか出せないが、研究者として結論づけたい事項は直感でわかっている。

これが信仰ではないか

孤独はそんなにダメなのか

子供がいないと生涯孤独
という考え方は
賛同できない。

子供がいても家族がいても、
本質的孤独からまぬがれない。

家族や友達は、その本質的孤独を直視しないための現実逃避だ。

でもそんなことに家族や友達を利用したくない。

絶対的孤独と対峙して、
考察を続けていくことが、生きる上では絶対必要なんだ。

誰も、どんな深い仲だとしても、
完全に分かり合えない。
助けることはできない。
分かち合うこともできない。
神様だけが、私を完全に理解する。
私は神様がわからないが、
神様は消して私を落胆させないことを、裏切らないことを、知っている。

励まし会いながら、
それぞれひとりで戦い続ける、考察を深めるための議論ができる、
それが家族で友人だ。


夫はまた少し違う。
夫は妻と一つになるから。
だから互の孤独が、同じものになってそれを考察する。
ただ人間は完璧ではないので、夫婦間でも理解し合えない。

夫婦は完全に一つとなるのは、
つまり、同じ孤独を有し、同じ方向性をもって、それぞれが戦う、
時に励ましあい、二人で考察し、作戦を立てる、ようなものではないかと思う。

生まれてきた子供は、また別の存在で、全く違う孤独を抱え、それと退治しなければいけない。
孤独と向き合う準備、神様絵の出会いを助けるのが、親の役目かと思う。

ただ、
だから家族が、夫が、子供がいないと、友達がいないと孤独と退治できないわけではない。
あくまでもます個人による個人的な対峙が必要だと思う。

家族や友達、子供がいないと、生涯孤独だよ、
というのは、本質から外れているような直感がある。

本来、人間は、その社会的恐怖や誘惑を優先するべきではないと思う。
それが本質ではない。手法でしかない。
それそのものは素晴らしいが、
それは本質ではないので、そこにこだわって、それを大事にして、それを一番だと思うようになってしまうのは、
不安定で危険な状態だ。と感じる。

不安定な要因や、不安定な価値判断基準、一時的な価値、変化する価値、というのは二次的なもので

私の直感だが、一次的なものは、これに揺るがない。廃れない。ぶれない。永遠にその価値は、どんな二次要因がまとわりついたとしてもぶれない。

私は孤独を獲得した。
誰とも相容れない存在であること。
誰も負わせない。私がだけが扱えること。
また、だれも私を揺るがすことはできない。

そして私は、私以外の人を尊重する。
孤独に向き合う人達を励ます。
私が神様に許されたように、私は私以外を許す。

信仰は神秘的で華やかなものではない。哲学に近い。
泥臭く、地道に、本質を明らかにしようとしてもがく。もがく。

もがいている。そして私は一人で神様と生きている。
誰もが、一人で、でも神様とともにある。
神様によってであった人達に、
私のできることで仕える。神様が彼らを通じて助けてくれる。また私を通じて、神様が彼らを助けてくれる。

起こったことは、神様の軌跡でしかない。
その関係そのものに、社会的価値は意味がない。

私は孤独だが、満たされている。
一人だが、誰ともつながっている。

今日の気づき

信仰告白はえぬえいちけーの受信料支払いの覚悟

恵という、
生かされているという、
もはや当たり前のような許しを、
ネット、水道ガス電気、てれびのような、公共インフラとして、当たり前に享受している。

恵として享受しているにもかかわらず、
イエス様というパイプを通して受け取っているにもかかわらず、
それを認めることが難しい。

    • -

信仰における忍耐とは、どんなことをしても、失敗しても、神様から逃げないこと、神様を信じること、神様の偉大さに身を任せて、神様から隠れないこと、
神様の愛を信じること。
イエス様を通して許してくれた、神様の愛と、神様の正しさ、誓を信じること。

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交通事故にあった

先日交通事故にあった。

被害者の方だが、手続きや病院が煩雑で本当に、煩わしいこと限りない。

被害の受けたのはこっちで、保険が出るのは良いし、

骨折などに至らなかったのも素晴らしいことで、

車も新しくなるかもしれないが、

それ以降の手続きが本当に煩雑で、面倒だ。

それにしても結構な規模の事故で、かすり傷一つなし、

というのは、実に神様のおかげだ。

 

神様の殺意は感じなかった。

 

この出来事を通して得た知識はあるし、

面倒だけど、こうして起きないと調べる気力が湧かなかったことを調べられたから、

とても良いことだと思う。

 

信仰的に言えば、家族に神様の存在を証することになったと思う。

身を以てわかりやすい証明。

 

ーーー

 

独立して一年。やることが多い。全然わからない。

いろいろ調べて疲れた。だけどやるしかない。

お酒飲みたいけど、一応筋肉の損傷はあるので控える。

 

ーーー

 

信仰は哲学のようだと時々感じる。

 

その人が神の存在を認め、イエスの存在を必要だ、と認めることで

信仰が完全になり、神に許される。

そしてその認める作業を毎日、毎日、日々の出来事を振り返りながら、

聖書を読んで学びながら、確認を繰り返していくのが、

信仰とともにある、ということだと解釈している。

 

このことから、信仰を持って、のち、神に許される、という時間経過があるように思うが、

実際はそうではなく、

神はイエスを通じて「信仰を持っている」と全ての人を看做し、許し、恵みを授け、

その上で、各人が自発的に信仰を持つようになるのを待っている。

という状態が近いように思う。

 

なぜなら、信仰を持ったと自覚を持つ前から、

何か大きな力に導かれて、または守られて、人生を送ってきた自覚があるからだ。

その時の私は決して良い人間ではなく、

たくさん神を欺き、自分の欲求のままに、多くの人を傷つけることをした。

しかし、私はまだ生きていて、私が社会に必要とされるよう、

そうした人間関係や環境に私の身を置いてくれている。

そして、そうした恩恵が受けられるようになるための、

最大の恵みとして、

イエスが私たちに送られている。

 

本来私は死んでもおかしくないような、醜い存在でもあるにかかわらず、

私は常に何かに守られて、そしてここまで連れてきてもらったのだ。

 

イエスを通した神の許し、愛や恵は、

例えるなら社会インフラのように、日本中に世界中に、

当たり前に浸透していて、誰もがその恩恵を受けている。

それを、信仰を持った上で自発的に神とイエスを受け入れるというのは、

自分の住む家に、電球をつけ、蛇口をつけ、ガスコンロを置き、

インターネットを開設するような、そんな感覚に近いのではないか。

その恩恵が受けられるよう、また自宅にも引き込めるような資格を与えてくれているのが、イエスである。

 

ちょっとたとえ不足でもあるように感じる。

それらがないと生きていけない、と自ら認める行為、と言ったらいいだろうか。

 

疲れたのでご飯を食べねば。

 

 

 

 

 

 

 

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セロリの葉の活用

この前のセロリのピクルスには茎しか使わなか使わなかった。

葉はエゴマとペーストにし、とりひき肉に混ぜた。
鍋に入れてみたが、葉の主張が激しく、さっぱりと下味に合わない。

そこで、一度取り出して焼き目をつけ、トマトのパスタソースのあまりがあったので、それとケチャップで煮込んだ。
にんにくとトマトのおかげでバランスがとれた。

明日は気が向けば、これでパスタにする。

明日は、朝から仕事。
新設する施設の管理。
どうなるかな。
新しい試み。

なるようになる。
みんなを信じる。みんなの力の可能性を信じる。
皆の欲求の均衡が取れる位置を、流れのままに、見つける。
離れていく人は追わない。
みんなのやることに口出ししない。
私がやりすぎない。手を出さない。

みんながやりたければやる。
私がやりたければやる。
そうでなければしない。
私は主役にならない。主導権を握らない。

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セロリ

醸造した柿酢でセロリを漬けた。

 

280円でたくさん入っていた特価セロリ。

株の真ん中の方の、白くて柔らかいのではなく、

外側の緑の濃い、スが入っているものが多かった。

うまく漬かるといいな、と思う。

 

セロリは食べすぎると体が冷えるので、

生姜や唐辛子と一緒に漬けた。

 

明日から食べられるかと思う。

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