etetentenの記録

信仰とともに暮らす日々

運命と呼ぶのなら

それをどの神かと定めるのか、または、神とするのか、
という点はおいておいても、

流れを定めた存在がいるということを感じているのだ。
人間や自然を超越した、力あら存在、は運命を信じる人なら、無視することは難しい。

もし偶然だというなら、
確率だというのなら、
そうだとしても、その確率によって生まれた出会いや出来事は
全く無意味で無価値だ。
どんな素晴らしい出会いも、出来事も確率のひとつであって、その確率のひとつは再現可能であり、
一つ一つは特に意味が無い、ということだ。

今、確かに感じている、感動も、情熱も、使命感も、全て無意味で、
人間の脳が、そうした事態に陥ると脳が興奮する物質を出しているだけで、
だからといってそれに意味はない。

遂行する意味もない
考える意味もない。
生きる意味もない。
生きていられるのは、確率的な問題だから。
だから死んでも別に問題はないはずだ。


でも、なぜ、死んではいけないと思うのだろう。言い換えれば、なぜ生きることを毎日選ぶのだろう。

死ぬことへの恐怖?
死ぬのが怖くて、惰性で、無意味だと感じる日々を続けられるだろうか。

死んじゃいけない。死にきれない。その時、が来るまでは、どんな自堕落で目の当て様のない生き方だとしても、結局、しのうとしても、私は生きることを掴もうとする。

本当に確率にしか過ぎない人生を、あがいてでも勝ち取る気力はあるのだろうか。

私がぶざまにも生きたいと思う、死ねないと思う、その確信は、この世は偶然ではない、運命で構成されているからだ、と言うことはできないだろうか。

私は、それを信じたい。自分の無様な生きる意地に確信を持ちたい。
だから創造存在を信じる。
そしてその創造存在の完璧なまでの合理性を信じる。また、完璧さを信じる。
最後に、その存在と、その存在のつくり出したこの世の法則や定義を、
客観的に、人間的視点によらず解説する書物を、信頼のおける資料として認めたい。

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