etetentenの記録

信仰とともに暮らす日々

なにもできない

なんだか何もできない人間だな、と思った今日。

今日だけじゃない。毎日思い知る。

私は何もできない。

今の所属がなくなってしまったら、私は何もできない。

それはみんなもそうなのかな。それが、人の生きる原動力なのか。

 

何の所属にも寄らず、生きる原動力を得られるだろうか。

人間に寄らず、生きていたい。

 

神様は私が生きる意味を知っていて、私に生きる意味を与えてくれているが、

私がその意味を知っているわけではなく、

この先一生知ることもない。

神様の与えた、私の生きる意味は、私や人間にとって好ましいものかというと、

そういうわけではない。

私からすれば、こんなに虚しくて、情けない、不安定な気持ちになる。

社会からしても、認められないいき方だ。

 

私は私が情熱をかけられる存在を見つけて、そのためだったら生きれると思っているけど、

それも結局神による被造物であるから、

それに頼ることは間違っている。

 

間違っている、体の力の入れ方が間違っていて、いつか、どこかで体を壊しそうな、そんな間違い。

 

私はどこに力を入れれば良い?

何に全力になれば良い?

 

もう全力なのかもしれないよ?

 

また、私は私に「まだまだできるでしょ。怠けているだけでしょ」って、励ましているつもりで傷つけているだけかもしれないよ?

 

どれだけ自分を買いかぶっているの?

どれだけ自分ができると思っているの?

何もできないじゃない。

なんの力もないじゃない。

 

だから、何もできなくて当たり前で、それで自分を責める必要はないでしょ。

もう全力でやっているのだから、怠けてるって、批判するのは筋違い。

 

反省するのなら、多分、やり方とか、タイミングの問題。

毎日私は全力です。だから、やり方や考え方を変えてみよう。

タイミングを見計らってみよう。

 

神様のことを本当に考えながら、現代社会で生きるのは難しい。

社会のものさしで、私は毎日毎日、無様に測られる。

勝手に測るな。見るな。考えるな。

と思っても他人の目は塞げない。

 

だから、社会から離れるしかないのかもしれない。

宗教家が排他的になるのは、

違うものさしで測られるのが嫌になるからなのかもね。

同じものさしで自分や相手を測ることほど、安心することはないもの。

それで考えが偏っていってしまうのかな。

 

でも、毎日、毎日、違うものさしで測られて、

だめだと、不十分だと言われ続けるのは苦しい。

そんな毎日誰が望むか。

 

気にしなきゃいいという人はいるけど、それは、感覚の鈍いやつがいうことだ。

無理なんだよ。見えるんだよ。聞こえてくるんだよ。

だから物理的に目を閉じて、耳を塞いで、家から出ないしかないんだよ。

なるべく人と関わらず、なるべく人に覚えられず、

どんな人間かも推し量って欲しくない。

 

憂鬱だ。生きるのに憂鬱だ。

誰かと生きなければいけない。気持ち悪い。

誰とも一緒に生きたくない。

みんなロボットとかAIで決められた反応しかしないのだったら。

神様のことだけ考えてられるのかな。

私が生きるのに憂鬱なのは、他人がいるからだ。他の人が生きているからだ。

他の人と会わないならもっと楽しくなるだろうか。