etetentenの記録

信仰とともに暮らす日々

寝不足になると漠然とした不安を忘れられるから

我ながら不器用な暮らし方だなともう。

スマホを弄れば余計に寝づらくなることはわかっているが、胸がざわざわするのはブログを書けば収まる気がして書き込んでいる。

ずっとスマホの入力方法に慣れないだろうかと思っていたが、今ではあんまり気にならない。


夜になると不安になる。
起きてもいないことを思って不安になること程馬鹿げていることはないと思う。

でも、いつも不安になる。
仕事がなくなったら?
愛するパートナーを明日突然失ったら?
何を目的に生きていけば良い?
両親に何かあったら?
なんて不安が、ぐるぐるぐるぐる。

そうでなくても、漠然として胸のざわめきに落ち着かなくて、苦しくて、虚しくて
ずっと好きなビデオを眠たくなるまで見ている。

結婚すれば、こどもがいれば、そんなこと考えなくて住むのか。
会社に就職したら、そんなこと考えないのか。
と一瞬考えるけど、完全にそれは甘い考えで、そんなことで家族を持ったり、会社勤めをしても、上手くいかないですよ。
家族はさみしさを埋めるために作るものではないから。
それに、私みたいな人格破綻と結婚したら、相手も子供も生きていけない。

そんな不幸に誰が巻き込むか。絶対に嫌だ。

安定を目的に会社勤めなんて、見当違いもいいところだ。今じゃどうなるかわからないし、自立した目的は、自分が納得できる仕事を選んで、そのために力を注ぎたいからだ。
当初の目的を忘れてはいけない。

それなのに、夜、眠りにつく前は、不安になる。
わかっていても、やっぱり、今の生き方にストレスや不安を感じているんだ、と思う。

でも、これは、誰にも扱えないからね。
自分自身でコロコロ持て余しながら見守って耐えて放っておいたりしながら、折り合い付けるしかない。

聖書には、すべてのことには時がある、と伝道者の書あたりにかいてある。
始まるにも、終わるにも、全て時があるのだ。
何かが起こっても、別に驚いたり落ち込んだりする必要はなくて、なるべくしてなったのだから、そうなのだ。
わたしがわるいわけでもなく、世間や彼が悪いでもなく、時であっただけで、
それは人の価値観で当てはめて考えたら、ついてない日だったかもしれない。それだけで。

聖書では信仰をを持てば、あなたは不幸にもならないし、失敗もしないし、悩まない、なんて書いていない。
が、不幸や失敗や悩みを、今までの価値観で捉えて執着しないで、神の新たに与えた考え方で捉える訓練をしなさい。ぐらいは書いてあると思うを
その考え方によって、人間らしい価値観で、不安になったり落ち込んだりしなくなる、ということだ。

私の悩みも、悩みではないのだけどね。
訓練だよな。

私な与えたのも創造主、私から奪う権利があるのも創造主。創造主は、私や誰かほかの人間の価値判断によらない、最善の道を知っている。
私はそれがそうであると信じ、私ができる最善を尽くす。

ねむいな