etetentenの記録

信仰とともに暮らす日々

何をしたかは重要ではない

創造主の望んだ行動を素直に実行したこと、そのことを創造主は喜ぶ。

それによって人を救ったとか、

富を築いたとか、

悪を成敗したとか、

何か社会の役に立ったとか、

それは全部人間の尺度で行動の結果を見ただけだ。

人間の視点で見て、たまたま成果に見えることを、

自分の役割だとか、自分の存在理由だと、誇ることはできない。

それ話すことの一つだったのかもしれないが、

神が喜ぶのは、そのきっかけとなった、

神の望んだことを素直に聞いて、実行する。

ということこそ。

 

自分の存在意義を求めるために、何かを行うのは、自分のエゴでしかない。

 

ただこれができるのは、その信仰対象である「神」であるものが、

人間的な偏った価値観ではなく、圧倒的な価値基準を普遍的に持っている場合だ。

神になり得ない「神」の価値観に沿って、その「神」が望んだことを行動したとしても、それは意味がない。

それは本当に「神」なのか、神として足るのかよく考えたい。

 

その存在が本当に、人間の偏った価値観によらない神である、という前提で、

その神の御心にかなうように行動することができるのは、愛だと思う。

信頼であり、信頼より全てを無条件に預ける愛だ。

この存在を愛そう、と思うのが信仰ではないか?

 

 

 

今その人が私に優しいから私を愛しているのではない。

その人が私に優しく接しなかったら私は愛されていない、と考えるのであれば、それは愛ではない。

 

愛は条件によらない信頼だ。

私に優しいから神を愛するのではない。

人間的に優しいとは言えなくても、身勝手な都合で神は私を傷つけない。

身勝手な都合で神は私を見捨てない。

 

 

全てのことには意味があるが、私たちは全ての過程であり、

何かの結果であり、その途中であり、

私たちのすることは全て意味がない。

でも、私たちは生きている意味がある。

そしてそれは神を信じて神に従うことで得られる。

 

人間みたいな神様なら絶対に従わないし、

絶対に何も預けない。